東洋館 8室
2015年2月24日(火) ~ 2015年4月12日(日)
「王気の満ちる地」と言われる古都・南京(金陵、きんりょう)は、六朝から明清、近代に至るまで、江南(こうなん)の文化都市として個性的な文化を発展させてきました。
宋元時代の南京は、釈迦を彫刻した栴檀瑞像(せんだんずいぞう)が置かれた仏教の聖地として発展しました。また江南における禅宗の拠点の一つとして発展し、日本からも多くの禅僧が南京で修行しました。明代初期には一時首都が置かれますが、のちに北京に首都が移されてからは副都として発展し、皇族たちに支援された個性的な画家たちが活躍します。
明末清初の混乱期には亡命政権の精神的な首都として、多くの遺民が集うようになりました。清朝になると次第にその意識は薄れ、南京市内を貫く秦淮河(しんわいが)を中心として繁華街が発達し、文人たちによる出版文化が花開くこととなります。20世紀、中華民国の首都となった南京には美術大学がひらかれ、西洋や日本への留学から帰国した画家たちが教鞭をとりました。今も多くの人々が集まり、文化人を輩出する学問の都としての発展を続けています。
北京や上海に比較すれば、今まであまり注目されることのなかった南京ですが、中国の精神文化史上において、現在も重要な位置をしめ続けています。その全貌を示す日本初の展示となります。日本ともかかわりの深い南京の、七百年におよぶ書画文化。どうぞご堪能ください。
担当研究員の一言
中国の都市を日本に例えれば、政治の中心の北京は東京、商業の中心の上海は大阪、古都・西安は飛鳥、杭州は京都、そして南京は奈良と言ったところでしょうか。六朝以来、江南文化の中心として栄え、今も個性的な発展を続けている南京は、文人を多く輩出した蘇州、鎮江、揚州などを擁する江蘇省の省都でもあり、中国の文人で、この地域の影響を受けていない人はいないほどです。元時代の留学僧から、近代の美術留学生にいたるまで、日本と南京のつながりも紹介します。「書画王国」の実力を、ご堪能ください。/富田淳、塚本麿充