東洋館 8室
2014年7月29日(火) ~ 2014年9月28日(日)
紹興(浙江)の裕福な商家に生まれた趙之謙(ちょうしけん)は、少年の頃に家産が傾き、貧困を余儀なくされました。趙之謙は書画・篆刻で生計を立てながら勉学に励み、31歳で郷試(きょうし、科挙の1次試験)に第3席で及第します。ところが、この頃から太平天国の乱は熾烈(しれつ)を極め、趙之謙は温州(浙江)や福州(福建)に避難するものの、紹興の自宅は焼失、妻と娘も世を去ります。家族を失った絶望の果てに、趙之謙は号を「悲盦」とあらためます。時に34歳のことでした。翌年、趙之謙は会試(かいし、科挙の2次試験)を受験するため北京に赴き、そこで胡澍(こじゅ、1825~72)・沈樹鏞(しんじゅよう、1832~73)・魏錫曾(ぎせきそう、1828~1881)ら同好の士を得て、当時脚光を浴びていた金石学に没頭します。しかし、会試にはことごとく失敗、ついに高級官僚の途を断念します。44歳の時、地方官として江西に赴任しますが、在職中に過労がたたり、56歳の生涯を閉じました。
趙之謙は、北魏時代(386~534)の書に触発され、それを独自の解釈によって作品に結実させました。「北魏書」とよばれる新しい表現を確立した趙之謙は、清代後期に流行した書の一派である碑学派の中心的な人物として活躍します。この流れは、日本の書壇にも継承され、趙之謙の独特な作風に影響を受けた人たちは少なくありません。
今回で12回目を迎える台東区立書道博物館との連携企画では、国内に所蔵される趙之謙の書画・篆刻(てんこく)や、趙之謙が学んだ北魏時代に刻まれた碑文の拓本などを通して、趙之謙の生涯を紹介します。趙之謙の魅力をたっぷりとお楽しみください。