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東京国立博物館140周年特集陳列 ライプツィヒから来た白磁彫像―博物館草創期の国際交流2

  • 『エロスとプシュケ A.W.Fr.キスター社、原品=アントニオ・カノーヴァ作 19世紀、原品=1796年 ライプツィヒ民族学博物館寄贈』の画像

    エロスとプシュケ A.W.Fr.キスター社、原品=アントニオ・カノーヴァ作 19世紀、原品=1796年 ライプツィヒ民族学博物館寄贈

    本館 19室
    2012年12月11日(火) ~ 2013年3月3日(日)

    東京国立博物館140周年を記念して、ライプツィヒ民族学博物館から明治10年(1877)に当館に寄贈された一連の工業製品のうち、ドイツのシャイベ=アルスバッハ窯(A.W.Fr. キスター社)の製品を展示します。

    明治6年(1873)、前年に設置されたばかりの博物局(現在の東京国立博物館)は、ウィーン万博に参加しました。一方、1869年に市民が設立したライプツィヒ民族学博物館も、同万博に参加しましたが、設立間もない両館はいずれもハインリヒ・フォン・シーボルト(鳴滝塾(なるたきじゅく)で有名なシーボルトの次男)を代理人として万博に派遣し、作品収集をしていたことから、相互に作品を提供しあうこととなりました。

    殖産興業(しょくさんこうぎょう)の時代、日本は西洋の工業製品の見本を必要としていました。寄贈された白磁彫像を生産したシャイベ=アルスバッハ窯も、やはり創業間もなく、ウィーン万博で賞を取って名声を高めていたところでした。

    当時のヨーロッパでは東洋の白磁を模倣した磁器の生産が可能になり、18世紀末以来の新古典主義の彫刻や、その模範となった古代ギリシャの彫刻など、大理石の彫刻のミニチュアが、多くの窯で生産され、発達しつつあった市民階級に好まれました。美術が王侯貴族や聖職者の独占物から、市民階級によって消費されるものになっていたのです。

    シャイベ=アルスバッハ窯の白磁彫像から、日本に近代博物館が始まったころの時代背景を感じていただければ幸いです。

     

    担当研究員の一言

    ヨーロッパ市民階級の、白磁への憧れとギリシャ彫刻への憧れ。そこに居合わせた、生まれたばかりの東博。/白井克也

 主な出品作品
*所蔵の表記の無いものは、当館蔵品です。
エロスとプシュケ A.W.Fr.キスター社 19世紀 原品=アントニオ・カノーヴァ作 1796年 ライプツィヒ民族学博物館寄贈
ヒョウに乗ったアリアドネ A.W.Fr.キスター社 19世紀 原品=ヨハン・ハインリヒ・ダンネッカー作 1814年 ライプツィヒ民族学博物館寄贈
ベルヴェデーレのアポロン A.W.Fr.キスター社 19世紀 原品=レオカレス作 紀元前4世紀 ライプツィヒ民族学博物館寄贈 
農業のゲニウス A.W.Fr.キスター社 19世紀 原品=ベアテル・トルヴァルセン作 1838年 ライプツィヒ民族学博物館寄贈  

関連事業

平成館 大講堂  2012年12月15日(土)   13:30 ~ 15:00   当日受付
<ギャラリートーク>   ライプツィヒから来た白磁彫像
本館 19室  2012年12月11日(火)   14:00 ~ 14:30   当日受付