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あなたは誰派?女性画家タイプ診断

あなたは玉タイプ
「常に側に夫がいて、私の絵に対する大きな庇護者の役を勤めてくれました。ですから、人が想像するような苦心は何もありませんでした。ただ勉強するだけは非常に勉強いたしました。」
(『ラグーザ玉自叙伝』より、座談会での玉の言葉)
 
  エロスとサイケ  

時代の証言

「背の低い、灰色の髪をし、時の刻み込まれた顔、小さくて繊細な手をした人であった。イタリア語を上手に話した。奇異なところもあったが、飾り気のない振る舞いをする人であった。」「私の家からほんの数分のところに住んでいたので、彼女の家に立ち寄るのは楽しかった。小さな用事たとえば砂糖、コーヒー、ビスケット等を買ってきてほしいと頼まれた。というのも、絵を描く時間を盗むすべての事は、もう彼女にとって疎ましい事であったから。一日でも筆を握れない日があれば、神経質になった。」
(エリーサ・オリヴェーリ「エレオノーラ・ラグーザの思い出」より、
友人・エリーサの証言)
トーハクくん

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ラグーザ玉筆
エロスとサイケ
明治時代・20世紀

ラグーザ玉(らぐーざたま) 文久元年(1861)~昭和14年(1939)

 芝増上寺の差配・清原氏の娘で、イタリア人彫刻家・ヴィンチェンツォ・ラグーザの妻。

 来日して工部美術学校の教授を勤めていたラグーザから西洋画の技法を学び、明治15年(1882)22歳で彼の帰国に伴いイタリアのパレルモに移住。工芸美術学校の教師をすると共に、パレルモ大学では本格的な西洋画を学び、画家として活躍した。明治22年、教会での挙式・洗礼の際、エレオノーラというイタリア名を受けたが、夫の死後、昭和8年(1933)には63歳で帰国し、余生を日本で過ごした。


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