このページの本文へ移動

4.壬申検査 150年前の文化財調査

壬申検査における記録写真 東大寺大仏殿 横山松三郎撮影

今日でいう文化財の調査は、博物館にとって欠かせない活動のひとつである。明治のはじめ古器旧物の保存と海外流出防止のために、社寺や華族の所蔵する古器旧物の本格的な実地調査が行なわれた。この調査は、行なった年の干支をとって壬申検査と呼ばれている。

壬申検査は、明治5年(1872)に開催する文部省博覧会の出品物考証に備えるため、太政官正院に正倉院宝物の調査の必要性を申し立てたことに始まる。当時、日本人は文明開化の流行の中で新奇を競うあまり古器旧物(文化財)をかえりみることをせず、社寺の宝物を外国人に売り渡すなどの散逸が続いていた。政府は、その状況をうれい、全国の府県に対し管内社寺などから宝物の目録を作成させ、正倉院をはじめとする古社寺の調査を博物館に命じた。草創期の博物館にとって古社寺及び華族の所蔵品調査は、陳列品収集のためにも欠かせない事業であった。調査の日程は、華族所蔵物の調査41日、巡回61日、滞在20日で計122日間、約4ヶ月にも及ぶ長期出張であった。参加者は、博物館の町田久成・蜷川式胤、文部省の内田正雄のほか博覧会事務局よりウィーン万国博覧会出品準備のため画家の高橋由一、写真家の横山松三郎らも同行することになった。一行は5月27日の早朝東京を出発し、伊勢、名古屋、京都の各社寺や華族の宝物検査を終了し、奈良に到着した。8月10日奈良県庁において東大寺正倉院の開封についての打ち合わせを行い、同12日正倉院を開封した。蜷川の日記「奈良の筋道」には正倉院開封の状況が詳しく記録されている。日記によれば、正倉院の開封は、県知事はじめ東大寺僧侶、寺役人の同席のもと天保年間以来はじめて行なわれ、多くの御物が調査された。当時の宝物の状態は、横山の写真によって一部知ることができる。

壬申検査は、明治政府による文化財保護へのはじめての対策であった。

 

 

壬申検査宝物図集 蜷川式胤他 明治5年(1872) 

壬申検査における記録写真 正倉院宝物 横山松三郎撮影

壬申検査における記録写真 法隆寺五重塔 横山松三郎撮影

3.書籍館と浅草文庫       5.山下門内博物館