本館 16室
2011年3月15日(火) ~ 2011年4月24日(日)
天文18年(1549)イエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルが日本の地に降り立って以来、約40年の間にキリスト教は日本各地に広まりました。そしてキリスト教の普及とともに、ミサ曲などのキリシタン音楽も浸透しました。
イエズス会によって安土(今の滋賀県近江八幡市安土町)や有馬(今の長崎県南島原市)に建てられた教育機関(セミナリヨやコレジオ)では、西洋の思想、 宗教、哲学、文学、美術と一緒に音楽も教授されました。これらの教育施設や教会では日本人がオルガンを演奏しながら聖歌を合唱する声が響いたことでしょ う。織田信長もクラヴォやビオラなどの西洋の楽器を興味深く眺め、その音色を楽しみました。有馬のセミナリヨで学んだ4名の少年は、天正10年 (1582)に遣欧使節としてヨーロッパへ渡り、訪問先で西洋楽器演奏を披露し、人々を感動させました。帰国後、彼らの演奏を聴いた豊臣秀吉は3回もアン コールしたといわれています。
しかし厳しい弾圧が始まると楽器に合わせて合唱することはできなくなり、祈りは密やかに口承されました。そしていつしか音階やリズムがそぎ落とされ、「オラショ」という独特の形に帰結しました。
この特集では、信仰に関わる品々と、共に奏でられた音楽に関わる資料を展示しました。安土桃山時代に、キリスト教が信者たちに受けとめられていたことをご覧いただければ幸いです。