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厚手の紙を貼合わせてパネル状に仕立て,屏風のように(おそらく6枚一組)立て回した墓内装飾の一部で,わが国の正倉院にある鳥毛立女屏風とその源泉を等しくするものである。各所に絵具の垂れた跡が観察されるため,画を斜めに立てかけた状態で描いたことがわかる。裏貼には唐代開元4(716)年作製の西州柳中県高寧郷の戸籍などの反故が用いられていた。第三次大谷探検隊が将来した樹下美人図(MOA美術館蔵)と同じ墳墓から出土したが,当時の新疆省布政使・王方伯のものとなった本作品は,別経路で日本に入った。