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慶安年間(17世紀中頃)に奈良の興福寺慈眼院(じげんいん)に建てられた金森宗和(かなもりそうわ 1584〜1656)好みの茶室。もとは興福寺大乗院内にあり現在奈良国立博物館に移された八窓庵、東大寺塔頭四聖房の隠岐録(おきろく)とともに大和の三茶室といわれました。明治8年(1875)に博物館が購入、解体輸送中に伊豆で船が難破しましたが、幸い材は流失をまぬがれて明治10年に当館に移築されました。その後、第二次大戦中再び解体され疎開しましたが、昭和22年(1947)9月、数寄屋の名工木村清兵衛により現在の位置に再建されたものです。水屋、寄付、腰掛などは明治14年に古筆了仲(こひつりょうちゅう)によって設計、増築されたものです。にじり口にある手水鉢(ちょうずばち)は四方仏水盤といわれる形式のもので、延長3年(925)関白藤原忠平が建立した山城国法性寺の石塔のひとつでした。その後、銀閣寺を経て所有者がいく人か変わり、明治18年に博物館の所有になりました。 |
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